【ひとり起業ストーリー】その①バスケしかしなかった学生時代

かっつん
こんにちは。幸せな人生研究家のかっつん(→https://twitter.com/kattunn_01)です。

 

『ひとり起業ストーリー』では僕が実際に経験したきたことをストーリー調にして語っています。

 

かっつんがどんな経験をしてきたのか、どうしてブログで情報を発信するに至ったかの経緯が全てわかります。

 

ただ単調に書くだけではなく、小説風に楽しめるように書きましたので、ぜひ読んでください。

 

バスケで恥をかきたくなかった小学~中学時代前半

僕は、4兄弟の末っ子だ。

 

一番上とは9歳離れており、一番近くても5歳離れていて、兄弟に混ざって運動をする機会が多かったこともあってか、誰に教わったわけでもないのに、人よりもバスケが上手かった子だった。

 

地元のスポーツ少年団に入り、バスケ部として活動してたが、自分より年上の先輩たちに圧倒され、初めは練習に顔を出さない日も多くあった。

 

今ならわかる。

これが僕のダメな部分『恥をかきたくなくて見栄を張る』というところだ。

 

練習に顔を出せば周りの方がうまい。

 

だから、先輩がいなくなるまで練習はでない。

 

そんな考えを持っていた。

 

4年生になり普通に練習に行くようになり、5年生では試合に出て、6年生になったときには気づけばキャプテンになっていた。

しかし、キャプテンになっても相手を見て、恥をかきたくないから逃げるという癖は直っていなかった。

 

自分が下手だと思われたくなくて、強い人には挑まない。

 

自分が点を取らないといけないのに強いチーム相手だとパスをしてしまう。

 

そんな気弱な性格だった。

 

それは中学に入っても続いた。

 

小学校のコーチに誘われて、部活をやりながらクラブチームに入った僕は、それまでとは数段違うレベルの人たちとバスケをすることになった。

 

文字通り全国レベルだった。

 

部活では1年生のころからユニフォームをもらって試合に出ていても、クラブチームでは逃げてばかり。

 

結局またさぼっていた。

 

自分が下手だと思われたくない下手なことをして恥をかきたくない

というコンプレックスだった。

 

あまりにもクラブチームの練習をさぼっていたので、

母は大激怒

「そんなことならやめちまえ!!!」

 

このセリフで、逃げる選択肢を僕は見失った。

 

バスケが下手でも上手くなればいいと開き直った中学後半~高校時代

逃げる選択肢をしていても、他の人から良く思われたいという気持ちは持っていた。

 

練習で頑張ればほめてもらえ、その後クラブチームでもキャプテンになっていた。

 

下手でも頑張れば上手くなれるとこの時気が付いた。

 

クラブチームのコーチが言った一言を今でも覚えている。

 

お前が一番頑張っている。お前の頑張りに回りがついてくる。下手でも頑張れ。上手くなる。頑張れないやつは上手くなれない。」

 

そう言われてから、自分に自信が出た。

 

下手に見られて恥をかきたくないなら、逃げるのではなく上手くなればいい。』

 

ダメな自分を隠すのではなく、ダメな自分を克服していくという前向きな気持ちになれた。

 

その後は地元の強豪校からのオファーもあり、特待生として高校へ進学することになる。

 

特待生としてはかなり下手くそで1年生の間はユニフォームすらもらえなかったが、2年生の初めで初めてユニフォームをもらい、そのまま決勝戦でも試合に出場するようになり、高校でもキャプテンとなった。

 

県の優秀選手にも選ばれた。

 

人よりも頑張れたのは、恥をかきたくないというコンプレックスただ一つだった。

結局見栄っ張りなのだ。

 

コンプレックスのおかげでバスケがうまくなったと、今では自信を持って言える。

 

 

低偏差値だからと馬鹿にされたくなくて受験勉強した高校時代後半

高校バスケを引退し、受験勉強のシーズンが来た。

 

元々、高校受験でまともに勉強していなかった僕は、学力に対してもコンプレックスがあり、親に負担をかけてきたという気持ちと、兄の浪人・留年も相まって、必ず国立大学に進学するという目標と立てていた。

 

そこにも、人から認められたい、すごいと思われたいという気持ちが見え隠れしている。

 

しかし、6月下旬にバスケを引退した僕は、燃え尽き症候群となり、受験勉強に手をつけられなかった。

 

ようやく勉強に手をつけ始めたのは、8月の下旬を迎えるころだった。

 

受験勉強を経験した方は知っていると思うが、8月から受験勉強はかなり遅い。

 

しかもE判定の大学を志望しているのだから、周りの人が反対するのも無理はなかった。

 

「無理だよ」

「今からじゃ間に合わない」

 

そんな声を耳にした。

 

その声を聞いた僕は、あきらめるどころか人と違う勉強法を実践していた。

 

結果、公募制推薦試験(枠8名)で国立大学に合格した。

 

高校の偏差値はたったの40。

 

受かった大学の偏差値は60。

 

 

偏差値40の高校から偏差値60の大学に進学することは奇跡だと言われた。

(創立以来の快挙だとも)

 

この出来事は、僕の学力コンプレックスをさらに強くする。

 

頑張れば国立大学に行けるのに、勉強もろくにしないで、困っている連中と一緒になりたくない

と思うようになった。

 

それと同時に、

「せっかく国立大学に行ったんだから、人よりも稼げるようになりたい、自分は優秀だと証明したい

という思いを持つようになった。

 

 

 

続く…

 

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