【理学療法士起業家ストーリー】その①バスケしかしなかった学生時代

かっつん
こんにちは。理学療法士起業家のかっつんです。

『理学療法士起業家ストーリー』では私が実際に経験したきたことをストーリー調にして語っています。

かっつんがどんな経験をしてきたのか、どうしてブログで情報を発信するに至ったかの経緯が全てわかります。

ただ単調に書くだけではなく、小説風に楽しめるように書きましたので、ぜひ読んでください。

逃げ・負けマインド 小学~中学時代前半

私は、4兄弟の末っ子だ。

一番上とは9歳離れており、よく兄弟そろって遊んでいた。

一番年齢の近い姉がバスケをしていたこともあり、兄弟でバスケをすることも多かった。

その影響もあってか、小学2年生のころには人よりもバスケがうまかった。

小学3年生になり、バスケ部に入った。

しかし、部活というものを理解していないことや自分より年上の先輩たちに圧倒されることもあり、初めは練習に顔を出さない日も多くあった。

4年生になって普通に練習に行くようになり、5年生では試合に出て、6年生になったときには気づけばキャプテンになっていた。

自分が一番チームでうまいことはわかっていても、他チームを相手にするとひるんでしまう。

そんな性格だった。

選抜に選ばれてもパスを優先して自分は活躍しない。

当然、そんな負けマインドで勝てるわけもなく、小学生最後の試合は大差で負けてしまった。

中学に入り、多少負けマインドが改善した。

先輩相手でも活躍できるという体験や先輩よりも走れるという自信もあって、1年生から試合に出ていた。

そんな中、小学校のコーチに誘われて、部活をやりながらクラブチームに入った僕は、それまでとは数段違うレベルの人たちとバスケをすることになった。

文字通り全国レベルだった。

部活では1年生のころからユニフォームをもらって試合に出ていても、クラブチームでは難しかった。

いやだという気持ちが出て、練習に行かない日が続いた。

負けマインドの復活。

あまりにもクラブチームの練習をさぼっていたので、

母は大激怒

「そんなことならやめちまえ!!!」

この言葉で、やめたくないという自分の気持ちに気が付いた。

高いレベルでやるのは嫌だという気持ちと辞めたくない気持ちが共存。

結局、練習が嫌なだけだった。

しかし、この日から真剣に練習に取り組み、自分自身が変わることができるという経験をするのだった。

バスケが下手でも努力すれば変わる 中学後半~高校時代

母の叱責があり、クラブの練習にも真剣に取り組むようになった。

「自分は下手だから、人よりも努力しなくてはいけない」

というマインドでひたすら練習した。

すると不思議なことに、先輩にもついていけるようになった。

下手でも頑張れば上手くなれるとこの時気が付いた。

クラブチームのコーチが言った一言を今でも覚えている。

お前が一番頑張っている。お前の頑張りに回りがついてくる。下手でも頑張れ。上手くなる。頑張れないやつは上手くなれない。」

そう言われてから、自分に自信が出た。

『雑草魂』

私のバスケを一言で表すとしたらこの言葉がふさわしい。

(のちにこれがコンプレックスとなるのだが…)

クラブチームではキャプテン、中学の部活では副キャプテンになった。

部活の最後の試合では数十年ぶりに県大会出場。平均25点近くとっていたと思う。

(バスケがわからない人は申し訳ない。)

その後は地元の強豪校からのオファーもあり、特待生として高校へ進学することになった。

特待生としてはかなり下手くそで1年生の間はずっと2階で応援していた。

それでも練習はさぼらなかった。

誰よりも走ったし、誰よりも声を出した。

2年生になり初めてユニフォームをもらい、そのまま決勝戦でも試合に出場するようになった。

ゲームキャプテンにもなった。

県の優秀選手にも選ばれた。

関東大会ベスト8という成績を残した。

特待生の中で一番へたくそな自分が、こんな成績をおさめられたのも、中学の時の母の叱責があったおかげだと、今では感謝している。

受験勉強で学歴コンプレックス発動 高校時代後半

高校2年生の時からとある夢ができた。

「理学療法士になりたい。

医療関係でバスケにも関われる裏方の仕事。

自分の将来にこれほどふさわしい職業はない!」

そう思っていた。

当時は将来は給料をもらって生活することに何も疑問を思わなかった。

なんならより良いお金をもらうために、国立大学に進学するということまで決めていた。

国立の理学療法を学べる大学に進学する。

これを漠然と思いながら、6月に高校バスケを引退した。

元々、頭は悪くないほうで、高校受験も成績はトップだった。

しかし、高校3年間はバスケしかしてこなかったツケもあり、全国偏差値は50を下回っていた。

目標としていた大学は偏差値60程度。

当然このままで合格するわけもない。

模試の判定はいつもE判定だ。

しかし、6月下旬にバスケを引退した私は、燃え尽き症候群となり、受験勉強に手をつけられなかった。

ようやく勉強に手をつけ始めたのは、8月の下旬を迎えるころだった。

受験勉強を経験した方は知っていると思うが、8月から受験勉強はかなり遅い。

しかもE判定の大学を志望しているのだから、周りの人が反対するのも無理はなかった。

「無理だよ」

「今からじゃ間に合わない」

そんな声を耳にした。

しかし私は、あきらめるどころか人と違う勉強法を実践していた。

(勉強方法については割愛する)

結果、公募制推薦試験(枠8名)で国立大学に合格した。

高校の偏差値はたったの40。

受かった大学の偏差値は60。

偏差値40の高校から偏差値60の大学に進学することは奇跡だと言われた。

(創立以来の快挙だとも)

頑張れば国立大学に行けるのに、勉強もろくにしないで、困っている連中と一緒になりたくない

と思うようになった。

それと同時に、

「せっかく国立大学に行ったんだから、人よりも稼げるようになりたい、自分は優秀だと証明したい

という思いを持つようになった。

続く…

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